一時的思考停止のすすめ

 近頃、良質な睡眠体験が得られていない。布団にもぐり完全な覚醒状態で朝を迎えるなんてことが多々ある。目をつむったら朝になっていた、みたいなことがよくあった小学生の頃に戻りたい。

 最近は眠ること自体を諦めて布団から脱出し、どうでもいい内容の動画を見たり、いろんな人の文章を読んだりしてインターネットを徘徊している。それもこれも考え事が頭の中を常に付きまとうからだ。

 

 そういうわけで例によって眠れなかったので、うぇぶろぐ、更新したるんじゃい!朝の6時44分に何をやってるんだおれは。早く寝たい。

 

 寝つけない理由はもっぱら考え事のせいだが、それが毎日続いているというわけではない。一日でも生活リズムが崩れるとそれに呼応するように次の日も狂っていき、体内の睡眠サイクルがおかしくなる。それが入眠のしにくさに繋がり、長期的な睡眠不足に陥る。どちらかと言えばこういった二次的な被害の方が大きい。だが結局の所、諸悪の根源である「悩み」を解消せねば根本的解決にはならない。

 

 しかし「悩み」とは色々な策を講じた上それでも解決できなかったものであり、それを解消するのが困難であることは容易に理解できる。そういったときに都合よく思考をシャットダウンできる便利アイテムが開発されている。それが「睡眠薬」である。

 

 ある人は睡眠薬のことを「メンヘラ御用達のファッションアイテム」などと揶揄していたりする。行き過ぎた自己愛の象徴という実態は確かに存在するが、この代物、使い方を間違えなければなかなか便利であると思う。身体的な依存については注意すべきだが、眠りたいときに眠れるのだ。優先すべきことがある時、この便利アイテムを用いて問題をひとまず先送りにすることは現代社会において道理にかなっていると思う。

 

 言ってみれば睡眠薬を服用するのは思考停止だ。一般に思考停止は良くないこととされているし、「そんなものを使うのは逃げだ」と言う人もいる。しかし、人間は四六時中計算を行うコンピューターではない。思考を停止させて頭を休ませるタイミングは絶対にあるはずだ。

 そして、本当に行き詰まったときの「逃げ」はむしろ有効的であると思う。たしかに自分を追い込むのは悪いことではないが、それによって生産性が下がってしまっては身も蓋もない。前線から退き英気を養い、再び前線に戻り歩を進める戦術が存在するように、停滞は少しも恥ずべきことではない。いわゆる「戦略的撤退」と呼ばれるものだ。ふと思い出したが、同じようなことを漫画『銀の匙』に出てくるハゲの校長も言っていた気がする。

 

 思考停止の手段の一つとして「睡眠薬」という便利アイテムがあるよ、というところで話を終わりにしたい。

 

 

 

 ここまで長々と話をしながら現に私は眠れていない。問題の所在はどこか。手元不如意のためである。

 

 貧乏が悪いよ貧乏が。

『君の名は。』の分からないところ

 前々から気になっていた新海誠監督作品の『君の名は。』を観てきた。

 個人的には引っかかるところが確かにあった。しかし中には、

 

「綺麗な絵だったろ?それで十分じゃないか」

 

とあっけなく消化できてしまう人もいる。が、それでは済まない人も確かにいて、現にそのうちの一人がこうして文字を書き連ねている。

 

 身体が入れ替わったり、時間軸のずれが生じるといった手法(ex. 山田君と7人の魔女, 時をかける少女)は典型的ではあるが、それら2つを組み合わせたことによる面白さは感じた。

 二人ともスマートフォンを所持しながらすぐ連絡を取ろうとしなかったこと、涙が溢れるタイミングと理由、カタワレ時にご神体の周りの窪地で時間が同期されて二人が出会えたこと、三葉の祖母は入れ替わりの体質の事を知りながら彼女の言うこと(彗星が飛来すること)を信じなかったこと、などツッコみたい箇所は色々ある。

 しかし、その設定がどれだけちぐはぐだとしても、設定が作品内容の面白さに及ぼす影響はそこまで大きなものではないと考えている。現にそういう作品を今まで何度も見てきた。そういった理由で先に挙げた点に関して触れるつもりはない。

 

 さて、本題に入ろうと思う。

 

 まず、この物語は

  • 身体が入れ替わり
  • 各々の生活の違いを体験し
  • 本人に直接会って話がしたいと思い
  • なんやかんやあって苦難を乗り越え
  • 数年後、記憶は無いけれど会うことが出来ました

といった流れである。

 

 これらの3つ目において、主人公である瀧は三葉の身体を通して見た風景を頼りに彼女が住む町を訪れようとする。その過程で彼は三葉がすでに亡くなっているものと知り、現実を受け入れられず結局彗星の飛来した場所へたどり着く。そしてご神体の中に置いてある口噛み酒なるものを飲むことによって三葉の身体に入り、その中の瀧は町民の避難計画を進める。その途中で三葉が瀧の身体の中で目覚めついには再会を果たし、お互いの名前を忘れないようにとそれぞれ名前を掌に書き合おうとするも(瀧は三葉の掌に「すきだ」と書く)叶わず、シーンは次へと移り変わる。

 

 よく考えてみてほしい。これまでの過程において双方相手に惚れ込む要素があっただろうか?三葉と瀧が再会すると書いたが言ってみればほぼ初対面なわけで、それがすぐさま恋愛感情に直結するだろうか。

 瀧は糸守町に出向いているし、時間軸は違えど三葉も東京に出向くという描写があった。しかし、今までの彼らのやり取りからすると、その行動を引き起こしているのは「相手がどんな人間か気になる」くらいのものであると推測できる。そこから「すきだ」という告白に至るまでに「三葉は実は亡くなっていた」という事実が瀧に突きつけられる。この時の喪失感が転じて恋愛感情に発展したのだろうか?それともやっぱりめちゃくちゃイケメンだったからだろうか。

 そもそも喪失感とは、自分の愛情・深い愛着の対象となっている「大切なもの」を失った時(または失ったと思った時)に感じる苦痛である。

 上記の3つ目の時点において、自分の愛情・深い愛着の対象となっている「大切なもの」になり得るだろうか?どんなに見積もっても「めっちゃ気になる~」くらいじゃないだろうか。

 

 この辺りが私の"分からないところ"である。

 

 そして、これはただの願望なのだが、5つ目の「記憶は無い」という部分である。あれだけ濃ゆい記憶を失くした後で、そこから二人の関係は深まっていくのだろうか?それとも「運命的な何かを感じる」みたいなノリで仲良くなっていくのだろうか。この「記憶が無い」という設定のせいでこの先を想像することすら阻まれるので、せめてここだけは"設定"をなんとかしてほしかったなと思っている。こういうところにも後味の悪さを感じた。

 

 

上坂すみれ「恋する図形(cubic futurismo)」の歌詞における用語

最近はもっぱら、毎日ぼけーっとアニメを見る機械になっていたので例に漏れず「この美術部には問題がある!」というアニメを見ていたのだが、EDを聴くとビビっと来るものがあった。それが上坂すみれ「恋する図形(cubic futurismo)」である。

 

上坂すみれ「恋する図形(cubic futurismo)」は先日8月3日に発売された。作詞作曲編曲はTECHNOBOYS PULCRAFT GREEN-FUNDが手掛けている。


恋する図形(cubic futurismo)/上坂すみれ

緻密な音遊び、不規則なエレクトロニクスパーカッションの音色によって弾けるようなポップさと、不安定でありながらも小気味よいサウンドが演出され、曲に充てられた彼女のボイスワークがキャッチーさを引き出している。

(MVはすべて自身のinstagramからアップロードされた映像から成り立っており、非常に機知に富んだ作品に仕上がっている。)

 

 

 

ルー大柴の再来か?」

なんだよ逆説的シュプレマティスムって。なんだよ感情性フォルマリズムって。

こちとら偏差値2しかないんだよ。ちゃんと日本語喋ってくれ。

 

そういうわけで難解な用語を多分に含んでいるので、意味を調べてみた。

歌詞はもちろん著作物なので、各自検索して頂くお買い求め頂くかしてほしい。

 

 

特に耳馴染みのない言葉をピックアップしてみて、使われている言葉は主に美術史関連のものであることが分かった。たしかに美術部のアニメだけれど、やってることは単なるラブ・アンド・コメディなんだよなあ。

ロシア語が入ってたりするのはおそらく彼女が無類のロシア好きだからだろう。

 

2次元がどうとか言っているので僕たちオタクに関する言及がありそうだが、用語を調べ上げるのに疲れてしまったので今日はこの辺りで筆を置くこととする。気分によっては後日、自分なりの読解の記事も書くかもしれない。この記事が皆さんの歌詞読解の手助けとなることを願っている。

 

 

結局、感情性フォルマリズムって何だったんだ……?

 

恋する図形(cubic futurismo)【通常盤】

恋する図形(cubic futurismo)【通常盤】

 

 

 

 

ブログをはじめた

日々あったことや作品に対する感想などをまとめる場所をブログという形で設えた。飽きっぽく冷めやすいといった典型的自堕落人間の素質があるので次の更新はいつになるか分からない。