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『君の名は。』の分からないところ

 前々から気になっていた新海誠監督作品の『君の名は。』を観てきた。

 個人的には引っかかるところが確かにあった。しかし中には、

 

「綺麗な絵だったろ?それで十分じゃないか」

 

とあっけなく消化できてしまう人もいる。が、それでは済まない人も確かにいて、現にそのうちの一人がこうして文字を書き連ねている。

 

 身体が入れ替わったり、時間軸のずれが生じるといった手法(ex. 山田君と7人の魔女, 時をかける少女)は典型的ではあるが、それら2つを組み合わせたことによる面白さは感じた。

 二人ともスマートフォンを所持しながらすぐ連絡を取ろうとしなかったこと、涙が溢れるタイミングと理由、カタワレ時にご神体の周りの窪地で時間が同期されて二人が出会えたこと、三葉の祖母は入れ替わりの体質の事を知りながら彼女の言うこと(彗星が飛来すること)を信じなかったこと、などツッコみたい箇所は色々ある。

 しかし、その設定がどれだけちぐはぐだとしても、設定が作品内容の面白さに及ぼす影響はそこまで大きなものではないと考えている。現にそういう作品を今まで何度も見てきた。そういった理由で先に挙げた点に関して触れるつもりはない。

 

 さて、本題に入ろうと思う。

 

 まず、この物語は

  • 身体が入れ替わり
  • 各々の生活の違いを体験し
  • 本人に直接会って話がしたいと思い
  • なんやかんやあって苦難を乗り越え
  • 数年後、記憶は無いけれど会うことが出来ました

といった流れである。

 

 これらの3つ目において、主人公である瀧は三葉の身体を通して見た風景を頼りに彼女が住む町を訪れようとする。その過程で彼は三葉がすでに亡くなっているものと知り、現実を受け入れられず結局彗星の飛来した場所へたどり着く。そしてご神体の中に置いてある口噛み酒なるものを飲むことによって三葉の身体に入り、その中の瀧は町民の避難計画を進める。その途中で三葉が瀧の身体の中で目覚めついには再会を果たし、お互いの名前を忘れないようにとそれぞれ名前を掌に書き合おうとするも(瀧は三葉の掌に「すきだ」と書く)叶わず、シーンは次へと移り変わる。

 

 よく考えてみてほしい。これまでの過程において双方相手に惚れ込む要素があっただろうか?三葉と瀧が再会すると書いたが言ってみればほぼ初対面なわけで、それがすぐさま恋愛感情に直結するだろうか。

 瀧は糸守町に出向いているし、時間軸は違えど三葉も東京に出向くという描写があった。しかし、今までの彼らのやり取りからすると、その行動を引き起こしているのは「相手がどんな人間か気になる」くらいのものであると推測できる。そこから「すきだ」という告白に至るまでに「三葉は実は亡くなっていた」という事実が瀧に突きつけられる。この時の喪失感が転じて恋愛感情に発展したのだろうか?それともやっぱりめちゃくちゃイケメンだったからだろうか。

 そもそも喪失感とは、自分の愛情・深い愛着の対象となっている「大切なもの」を失った時(または失ったと思った時)に感じる苦痛である。

 上記の3つ目の時点において、自分の愛情・深い愛着の対象となっている「大切なもの」になり得るだろうか?どんなに見積もっても「めっちゃ気になる~」くらいじゃないだろうか。

 

 この辺りが私の"分からないところ"である。

 

 そして、これはただの願望なのだが、5つ目の「記憶は無い」という部分である。あれだけ濃ゆい記憶を失くした後で、そこから二人の関係は深まっていくのだろうか?それとも「運命的な何かを感じる」みたいなノリで仲良くなっていくのだろうか。この「記憶が無い」という設定のせいでこの先を想像することすら阻まれるので、せめてここだけは"設定"をなんとかしてほしかったなと思っている。こういうところにも後味の悪さを感じた。